--- 213日 ---




 毎年2月の半ばになると、お決まりのように教室の中はざわめき始める。
女子は手作りだのなんだのとこそこそ話をし合い、男子はそんな彼女らを横目で見つつ、気のない素振りを演じる…ここ、2年F組でも、このなんとも落ち着かない雰囲気が漂っていた。
「しっかし、毎年よくやるよね、皆。」
 私の横で乙女らしからぬ発言をしたのは中村夢乃――通称、ドリちゃんだ。
『バレンタイン――それは恋する乙女を強くする、年に一度の魔法の日』
 街で見かけた看板に書かれていた言葉。このころになるとあちこちで目にするものだが、私は結構好きだったりする。バレンタインにチョコレートを贈る、という風習がお菓子屋さんの陰謀だったとしても、それはそれ。『恋する乙女を強くする魔法の日』なんて可愛いではないか。
「いいじゃない。一度しかない高2の冬の青春なのよ。」
 青春ねぇ…と言いつつ廊下の窓枠に身体を預けて天を仰ぐ彼女。納得できないという口ぶりだったから、「ドリちゃんも、鳴海クンにあげるんじゃないの」と、ツッコんでやった。すると、中村夢乃は少し頬を赤らめ、睨む様にこちらを向く。
その仕草が可愛い…と思ったのは、ここだけの話。(言葉にしたら、彼女はきっと怒るだろうから)
「…そういうヒーちゃんこそ、あげる人いないの?」
「私?」
 バレンタインにチョコを贈る女の子のことを可愛いと思っていても、現在形で自分がその立場になるとは考えたことがなかったので、思わず間の抜けた返事を返してしまった。



*****



「なぁ、古文の辞書貸して?」
 江藤夏郎は、何かと忘れ物をするとF組に借りにくる。
初めのうちは忌々しく思っていたが、最近では慣れっこになってきた。
ちょっと待ってと声をかけ、ロッカーから辞書を持って戻ると、彼はF組の教室の中をぼーっと眺めているところだったらしい。視線の先には、きゃいきゃい黄色い声を上げる女子の集団が見える。
「ねぇ、E組もこんな感じ?」
「ここまで大っぴらには騒いでいないけど、いつもと雰囲気違うかもな。休み時間も、携帯をいじってるヤツが多い気がする。」
 女子のいない男子クラスでは、こんな光景も見られないのかしら?というこちらの心情が伝わったのか、彼の言葉には、男子にとってもバレンタインは大切な行事だというニュアンスが含まれているように思えた。

「それにしても元気だなあ。」
「でも、男の子は嬉しいんじゃないの?」
 興味のないふりをしてみても、自分のために可愛いチョコレートを選んだり作ったりと一生懸命になってくれている様子は、見ていてくすぐったいものだと思う。私だって、そうだもの。
どうなのよ?という意味を含め、挑戦的な瞳で見やると、彼はにっと笑った。
「まぁね。おれも、おひいさんからのチョコ、楽しみにしてるから。んじゃ、借りてく。」

 捨て台詞を吐き、去っていく。ちょっと待て、いつ私があんたにあげるって言った?
相変わらず強引というかなんというか。でも、何も言い返せなかったのは本当。「あげる人いないの?」と中村夢乃に聞かれたとき、頭の中にぼんやりと浮かんできたのが彼の顔だったと言ったらおかしいだろうか。未だ、彼に対してぽーっとなったことなんてないのに。


どきどきと鼓動を打っている心臓を押さえ、帰り道にファンシーな飾りによって彩られた店々で、チョコレートを選んでいる自分を想像してみる。
理論的に考えようとしている頭とは裏腹に、心は正直かもしれない。



問題の日まで、あと一日。





バレンタイン文…甘くなくてごめんなさい;

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