そっと手を伸ばせば、届く距離。
Over afternoon.
ある日の昼下がり、燕雀探偵社にいつもよりも早い来客があった。
毎日のようにそこを訪れる彼女に、他の客とは違う反応を示している館の主であったが、当人はまだ気付いていない。周りの者から見れば、その態度はバレバレであるのに。
わざと気付いていないふりをしているだけなのかもしれない。
でもどちらにしろ、本人が気付かないコトが相手の少女に気付けるはずもないという話であって。
ふたりの距離は、縮まらない。
「ふぁ〜あ……」
応接室のソファーに座り、まゆらは大きくあくびをした。
テスト期間だったとかで学校が終わった帰りに探偵社を訪れたまゆらであったが、彼女は先ほどからやけにぼーとしていて、時折このように大きな欠伸が見られていた。
「やけに疲れてんじゃん、まゆら。一体どうしたの?」
ロキは読みかけの本にしおりを挟み、まゆらに尋ねた。
「テスト。今日が最終日だったんだケドね、世界史の範囲がどうしても終わらなくて 昨日は徹夜になっちゃったんだ〜。」
彼女はごしごしと目尻を擦ると、あはは、と笑ってみせる。
「ソレならさっさと帰って寝る方がいいんじゃナイの?」
「ううんっ!私が寝てる間にミステリーなコトが起きたら大変じゃない!」
まゆらはソファーから勢いよく立ち上がると、ぎゅっと拳を握った。
いつの間にかけたのか、ぐるぐるミステリーメガネも装備済みだ。
「……そりゃ〜熱心なコトで…。」
呆れ半分で、ロキは厚い本を開いた。
「ソレにしてもいい天気だねぇ〜、ロキくんー。」
能天気な声と共に、ソファーの上で大きく伸びをするまゆら。
いつも台所にいる闇野はフェンリルと昼食のための買い物へ出かけて留守だ。
ロキは手元の本に集中している。
勿論、依頼者が来るわけでもなく。
すると、必然的にまゆらのすることはなくなってくる。
ひとり時計の音を聞いていたまゆらの意識は、徐々に闇へ落ちてゆくのだった。
◇
しばらくして静かになった部屋の雰囲気に気付いたロキは本から視線を外し、ふとソファーの上の彼女の方を向いた。
規則正しい呼吸音。
安心しきっている様子で背もたれに寄りかかり、くうくうと寝息を立てているまゆら。
はぁ。ロキは重いため息をついた。
「だいたい一夜漬けなんかで テストが上手くいくもんかね…。」
彼女は徹夜明けだと言っていたし、今日のところは多少の居眠りも否めないだろう。
しかし、問題はそこではなくて。
今は子供の姿とはいえ、仮にも部屋には男とふたりっきりだというのに。
無防備、すぎるだろ……?
「ソレとも、まったくの対象外なのかな……。」
ロキは本を持ったままおもむろに椅子から立ち上がると、すうすうと眠る彼女の側にかけ寄った。
その足元にしゃがみ、じっとまゆらの顔を覗き込む。
長いまつげ。
白い肌。
桜色の唇。
「…おとなしくしてれば、可愛いのに…。」
どれくらい 彼女の寝顔を眺めていただろう。
そろそろ闇野達が帰ってくる頃だろうか。
なんとなくいけないことをしているような気がして、ロキが立ち上がろうと腰を浮かせた、そのとき。
薄いカーテンが、風でふわりと舞った。
窓辺から差し込む 日の光が気持ちよくて。
髪を揺らす、やわらかい風が心地よくて。
ロキは無意識に、ソファーの上へ身を乗り出していた。
ぎしっ、とソファーのきしむ音が、静かな部屋に響く。
「…まゆらがいけないんだからね……。」
彼女の頬にかかる色素の薄い髪をそっとはらって落とした、
触れるか、触れないか解らないくらいのキス。
―――ソレは、かすかに甘く……―――
「……っ!なにやってんだボクは……」
ロキは慌ててソファーから身体を離す。
その拍子に、抱えていた本がばたんと床へ落ちた。
(げっ………)
いくら寝つきのよいまゆらといえど、この音に反応したらしい。
長いまつげがぴくりと動き、そのまぶたがそっと開いた。
「……ん?」
金縛りにあったかのように、ロキの身体は凍り付いていた。
まだ寝ボケ眼のまゆらは 呆然と立ち尽くしているロキを見て、ごしごしと目の辺りを擦っている。
「ロキくんどーしたの?そんなトコに立ったままで。」
「イヤちょっと……あ、お茶でも飲みたいなぁ〜と思って。まゆら、悪いけどいれてきてくれる?」
「うん、いいよ〜。」
何も変わった様子を示さず、まゆらは部屋から出て行った。
どうやら気付かれていないらしい。
ロキはほぉっと息をつき、読みかけだった本を開いた。
風でふわふわ揺れるカーテンに、
先ほどの場面が思い出されて。
ロキは、ぼおっと熱が昇った。
あのとき無意識に落とした 眠り姫へのキス
ボクがまゆら相手に?
………そんなの………
かちゃ、と扉の開く音と同時に、慌ててロキはおざなりだった本へ目を落とす。
そんなの、意識しちゃうじゃないか……―――――。
かちゃかちゃとカップを並べる彼女を、ロキは本を読むふりをして見つめていた。
ふと、目が合ってしまう。
「ん?どーしたの、ロキくん?」
「え……いや別に……。」
「ふぅーん……あれぇロキくん、どうしてその本逆さまに読んでるの?」
観凪さまリク、『無防備にうたた寝しちゃったまゆらサンと、無意識に魔が差しちゃったロキ様』文でした〜。
安直な氷山の思考……;
どうもありがとうございました!
