天使なんて、物語の中にしかいないと思っていた。
My Will
春は誰でも眠気を誘われる季節――昔の人の言うことは、事実を的確に捉えているなぁとつくづく思う。それは、普段はどんなに騒がしく、落ち着きのない者でも浅く、深く、眠りの底に落とされるらしいということ。
燕雀探偵社。今日も来訪客の来ないその一室で、金髪、長身の青年はソファーに座り、分厚い洋書を開いていた。
探偵社と名乗っておきながら、その経営状況は一週間に一度依頼人が来れば良い方。
探偵という職業を営もうと思った元々の理由はもうなくなり、本当ならその看板を下ろしてもいいと、彼――ロキ自身は思っていた。
この稼業を続けているのは誰でもない、ただひとりの少女のため。
生活は何も困らない。寧ろ、依頼人が来ない方がロキにとっては都合が良かった。面倒くさい気持ちもあるが、なによりも彼女と一緒に二人きりで居られる時間が増えるから。
こんなことを言ったら、彼女に、「怠惰だ」と怒られるだろうか。
それとも、照れたような顔をして笑うのだろうか。
そよそよと揺れるカーテン。その動きにあわせるかのように、青年の腕の中でまどろむ少女の前髪もさらさらと揺れた。
いつもなら「今日も依頼人来ないねぇ〜」なんてごちながら、窓の外をうかがっているところであろう彼女もこの暖かい日差しと春風には敵わなかったらしい。大きなロキの胸に身体を預け、すうすうと規則正しい寝息を立てている。
ロキは本のページを捲りながら、その安らかな少女の寝顔を盗み見た。
薄い布地を介して感じる体温。
この感覚は、何と言えばよいのだろう…そうぼんやりと考えていた彼の顔に、うっすらと笑みが浮かんだ。その表情は、慈愛に溢れた神の姿そのもの。
邪神と恐れられた自分を知る者が見たらどう思うだろうか。そう考えると、なんだか可笑しかった。
いつの間にか、ページを捲る右手が止まっている。
それに気付いたと同時に、腕の中の少女がもぞもぞと身じろぎをした。
うーん、と寝言のように小さく呟き、長い睫毛が振れてまぶたがそっと開く。
「…あれ、ロキくん?」
まだ寝ぼけた調子の声でごしごしと目元を擦ったまゆらは、彼の名前を呼んだ。
「なんだ、起きちゃったのか。」
小さな赤子をあやすかのように、ロキはくしゃくしゃと少女の頭をなでる。
それが気持ちよかったのか、ほぉーっと息をつきながら、まゆらはにっこりと笑みを浮かべた。
「ロキくん、なんだか天使様みたい。」
えへへ、ととろけたように笑う彼女を見、寝ぼけてるな、と感じたロキは、呆れたようにため息をついた。
確かに現在の彼の容貌は、さらさらの金髪に切れ長の瞳、鼻筋の通った顔立ちをしており、道行く人々も立ち止まって目を見張る程ではあったが。
北欧神話の神である彼が、人間離れした姿容であることは、何も不思議なことではない。
そのような賛辞の言葉を言われても、別にどうとも思わなかった。
「あのねぇ…天使じゃなくて、ボクは神様…。」
「解ってるよ。そうなんだケド、今、ロキくんの髪の毛にきらきらって日が当たってて、不思議に見えたんだもの。それにね、ロキくんが笑うとね、私、ふわふわって心地がするの。」
上手くいえないケド…そう言って照れたように俯き笑う彼女を見ていると、なぜか不意に喉がひりひりと痛んだ。
今、伝えたいことはたくさんあるはずで。
だけど言葉が見つからない。
邪神と呼ばれ、神々の黄昏を引き起こす引き金となると恐れられた存在であった自分。
生まれ落ちた場所も解らず、いつもどこか疎外感を持っていたあの頃。
外見を褒められたことは、数え切れないほどだったけれど。
皆、見た目に囚われて近づいてきたのかと思うと、心のどこかで不愉快に感じていた。
でも、だけど。
「…ボクは、『神』だよ?」
俯いたまま、ロキは静かにこう告げる。
「あぅ、変なコト言ってごめんってば……」
「そうじゃなくて、キミの目には、ボクはそんな風に映ってるのかなって思って。今までは…どちらかと言うと周囲に『悪魔』みたいだって言われてたからさ……」
ロキは、あはは、と自嘲気味に笑った。
そんな彼を、まゆらはきょとんとした表情で見上げる。
「うーん…天使って言うのは例えかなぁ…。なんとなく、私の中で『幸せを運んでくる象徴』っていう感じなんだよね。一緒に居ると幸せだから、ロキくんは幸せを運んできてくれてるのかなぁ、なんて思ったから。…ロキくんが嫌なら、別に悪魔でもいいんだよ?」
そう言うと、まゆらは人差指を軽く唇に当てて悪戯っぽく笑う。
ロキには、言葉もなかった。
あたたかな気持ちが溢れてきて、気がつくと、まゆらの細い肩を力いっぱい抱きしめていた。
「キミが居てくれて、よかった………」
隣に居て。触れ合えて。
ただ、それだけのことだけど。
『ひとは誰でも、誰かの天使になれるんだよ。』
そう言って笑ったのは、
愛しい 愛しい、
たったひとりの、ボクの女の子。
朔夜さまのリクエストで甘めの覚醒ロキまゆ小説でしたー。
私の書くものって、天使をモチーフにした話が多いなあ…;(マンネリ〜)
どうもありがとうございました!
