「こんにちわぁ〜…」
 燕雀探偵社。広いホールに少女の声が響き渡る。
しかしその声にはいつものミステリーにかける情熱が感じられない。
いや、それ以前に覇気がないような。
少女はおぼつかない足取りで廊下を進み、カチャリとドアノブを回す。
「ちょっとまゆら、ノックぐらいしなよ。」
 部屋の中からかけられる無機質な言葉。
彼女に文句を発した張本人は、そのとき少女の方を見ることなく本に目を落としたままであったことを後で後悔することになる。




あまい微熱に恋のくすり




「外は暑かったでしょう、まゆらさん。今アイスティを入れますからね。」
 柔らかいソファに腰掛けたまゆらに、闇野が優しく応対をする。
 現在は夏真っ盛り。
今年は猛暑だという話だが、この気候の中では少し散歩するだけでも額から汗が流れるものであるらしい。
…先ほど一足先にやってきてアイスティを一杯あおり、嵐のように去っていった鳴神がぐちぐちと呟いていた文句を思い出し、闇野はいそいそとキッチンへと向かおうとした。
しかしその背中に、弱弱しい声がかけられる。
「いえ…出来れば温かいものの方が嬉しいかも…さっきからなんだか悪寒がして…」
 言いつつ力なく微笑んでみせるまゆら。そういえば顔色が悪い。
「ちょっと失礼。」
 闇野はさっとまゆらの額に手を当てる。
 熱い。
「スピカさん急いで着替えを!兄さんとぷにゃんさんは洗面器にお水を汲んできてもらえますか!」
 闇野のただならぬ声に、スピカもフェンリルも、えっちゃんも家中を駆け回る。
まゆらの急病をロキが知ったのは、それからしばらく経ってからだった。




 コンコン、と寝室の扉を叩く。
自分の部屋の寝室をノックするなんて変な感じだ。そう思いながらロキがそっとドアを開けると、ぐったりと横たわる少女が見えた。
ベッドサイドでは、額のタオルを代えたり汗を拭いたりと、スピカが献身的に看護をしている。
その光景を見、ぼんやりと立ち尽くすロキに気が付いた闇野は、氷枕を持ったまま深々とその主人に頭を下げた。
「今、家中のシーツを洗っていてロキ様のベッドしか空いておりませんでして…どうもすみません。」
「いいんだよ。それよりまゆらの様子は?」
「まだ熱は下がらないようですが…今は寝てらっしゃいますよ。」
 闇野の誘導で、ロキはベッドの中の少女に視線を向ける。
顔から蒸気が上がりそうなくらいに、辛そうに肩で息をしていた。
「私はスピカさんと何か栄養のありそうなものを買ってきます。ロキ様、まゆらさんの様子を見ていていただけますか?」
「…もちろん。」
「ありがとうございます。」
 そう言うと、闇野はにっこりと笑って部屋を後にした。スピカも静かにそれに続く。
「……気をきかせてくれたのかな、ヤミノくん。」
 誰に言うともなしに呟くと、ロキはベッドサイドに腰を下ろした。
まゆらの額からそっとタオルを取ると、慣れない手つきでソレを絞る。



 空高く昇っていた太陽も、今は西の空へ傾きかけていた。
先ほどまで苦しそうな顔で喘いでいたまゆらだったが、今は落ち着いたのか安らかな顔をして眠っている。
「ホント、ヤミノくんとスピカの手厚い看護のお陰様さまだよ…。」
 ぼそりと呟くと、目の前の少女をまじまじと眺めた。
規則正しい呼吸音。

 そっと寝ている彼女の額に手をやってみた。まだ少し熱いだろうか。
ふと、まゆらの右腕が布団からはみ出しているのが目に付く。寒いといけないと思い、中に戻してやろうとその熱を帯びた手をそっと握る。
柔らかな感触が、ロキの掌を滑っていった。
「……最低だな、ボクは。」


彼女の異変にいち早く気づいたのは?
彼女のために、着替えを用意してくれたのは?
彼女のために―――………


 ……結局、自分には何ができたというのだろう?
少し赤らんだ頬も、静かに閉じられた瞼も。
この熱い手のひらも、細い腕も。
見ているだけしかできないなんて。


 その事実が何だか疎ましくて。歯がゆくて。
憂い気分を吹き飛ばすかのようにロキはぶんぶんと首を振る。
すると、先ほど出かける前に闇野が置いていった薬がちらりと横目に入った。
なんとも喉を通り難そうな錠剤である。寝ている彼女にどうやって飲ませろというのだろうか。
ソレに確か、薬を飲む前は何か食べないといけないんじゃなかっただろうか。
いろいろ考えていると、全てが質面倒くさく感じられてきた。
「……風邪なんて、うつしちゃえば治るんだよ。」


 きゅっと、彼女の手を握ったまま。
ロキは、そっとその紅い唇にくちづけた。

感じるのは、心地よい体温。

………まだ少し熱い、かな。


 そっと自分の唇に触れてみる。
ほのかに 彼女の熱が残っている、気がした。





「まゆらちゃん、全快しましたー!皆様、ご心配かけてどうもすみません!」
 翌日、探偵社を訪れたまゆらは、すっかり元気になっている様子だった。
闇野やスピカにぺこりと頭を下げると、部屋の奥で何食わぬ顔をして本を読んでいるロキの元へとやってくる。
「ロキくんも、心配かけてごめんね。」
「……別にボクは…っごほっ…」
 皮肉のひとつでも言ってやろうと口を開いたロキが放った大きなせき。「アレ、ロキくんも風邪?」と首をかしげるまゆらであったが、
「よーっし!今度はまゆらちゃんがロキくんの看病をしてあげるっ!」
「……いらないよ。」
 ナイスアイディアを即却下され、まゆらはぷぅっと頬を膨らませた。
「なによーこんなに大きなせきをしてるくせに!あ、心なしかほっぺたも赤いよぉ。…ホラ、風邪は人に移して直せって言うじゃない!」
「これでまゆらに移ったら、それこそいたちごっこじゃないか。」
「ソレもそっかぁ〜……って、え?」
 疑問符を浮かべるまゆら。何がなにやらという様子の彼女に向かって、ロキは悪戯っぽい笑みを浮かべて唇を指差した。

 瞬間、彼女の頬は真っ赤に染まる。
ソレはもう、風邪の熱ではない。





ロキまゆまゆら風邪ひき小説でした〜。
病気ネタ、実は好きです(笑)。
どうもありがとうございました!

キリ番部屋へ