遠くのさざ波が、幼い頃聞いた子守歌みたいで心地よかった。



かげぼうし、みっつ。



 修二と彰が旅立って初めての春休み、私はひとり、彼らの元に赴いた。手紙も電話もよこさず突然で悪いかと思ったけれど、二人は少し驚いた顔をしただけで快く私を迎えてくれた。再会した途端、彰に手を捕まれてぶんぶん振り回されたときは自分の方がびっくりしたものだ。後でこっそり修二が「いつも喧しいけど、こんなにはしゃいでるアイツは久しぶりに見た」と言ってくれたのが何だか嬉しかった。
 二人の住む町は、小さいけれど良いところだった。彰が下宿しているという部屋に修二と三人で泊めてもらって、ちょっと前と同じように頭を並べていろいろな話をした。学校の話、クラスメイトの話…二人の話題は何もかもが新鮮で、空が明るくなるまで語り明かしてしまった。
 目が覚めたときは、もう昼過ぎだった。寝ぼけ眼で隣を見ると、大の字ですうすうと寝息を立てている彰。その向こうの壁際に、毛布にくるまって寝入っている修二の姿が目にとまる。自分もいつのまに眠ってしまったのか解らないくらいだ。きっと、ふたりには無理をさせてしまったに違いない。

(申し訳、なかったなあ…)

 ふと窓の外を見やると、天気は快晴。私は二人を起こさないようにそっとコートを手に取り、扉を開けた。風が頬をなでていく。もう暖かいんだな、なんて今更のように思いながら、昨夜、修二と彰が教えてくれた通学路を一人で歩いた。右手には海が見える。ざざん、と遠くに聞こえるさざ波。ソレがなぜだか、自分を呼んでいるような気がして。

(ここが、二人の住む町なんだ)

 コンクリートの階段を降り、さくさくと砂浜を踏みしめ、潮風を胸一杯吸い込む。潮の香りに包まれて、何だか私もここの一員になったみたい。
 この波打ち際を、二人は駆けたって言ってたな。きっと彰の方が率先したのだろう。張り切る彼と、少し困り顔の修二が目に浮かぶようだ。思わず自分もそんな二人の真似してみたくなって、たたたっと波が来る方へ走り寄る。引いていった波を追うように。しかしその波はすぐこちら側に押し寄せてきたものだから、私は驚いてその場にしりもちをついてしまった。
「……あ」
 日の光と風が暖かかったから寒くはなかったけれど、せっかくのスカートが台無し。でもこんな惨状でも、笑みが浮かんでしまう。無意識に。
 しばらくそのまま座り込んでいると、波音に混じって自分を呼ぶ声が聞こえた。
振り向くと、血相を変えた彰と修二がこちらへ走り寄ってくる。濡れることも構わず私の前まで来た彰は、突然頭を抱え、叫んだ。
「野ブタぁっ!ああっ、こんな姿になっちゃってっ……!」
「…ソレはオーバーだろ…って言いたいところだけど、本当にひどい格好だぞ野ブタ。ほら。」
 修二が差し出してくれた手に素直につかまり、立ち上がる。ひたんひたんとスカートから海水が滴って、何だか重く感じた。
「あ〜あ、びしょびしょじゃん〜!もうっ野ブタ、勝手にひとりで出かけちゃダメなのよ〜ん、めっ!」
 ぴしっと彰に鼻の頭をつつかれる。いつものように冗談めいた口調だったけれど、その声色には本当に心配してくれていたことが明白で。「ごめんなさい……」私が小さく謝罪の言葉を口にすると、彼は困ったように笑った。
「ホントびっくりした。起きたら野ブタ居ないんだもん。ひとりで慣れない町を歩いて、迷子になってやしないかって不安いっぱいだったんだから〜。んねっ、修二?」
「だぞ。……ったく、お前には昨日から驚かされっぱなしだよ。」
 呆れたように言われ、私は萎縮してしまう。気が付くと、もう視界には波と砂しか入らなくなっていた。
「オイっ、べ、別に怒ってるワケじゃないからなっ。」
「うっわ〜。しゅーじヒド〜イ!よしよし怖かったねぇ、野ブタ。こっちおいで〜」
「なっ……なんだよ、俺だけ悪者かよっ。」
 うろたえる修二を見て、なぜかご満悦な彰。なははははっ、と彼の笑い声が辺りに響く。こうしているとあの頃に戻ったみたいだ。屋上で三人過ごした、あの大切な時間。

「……何も、変わっていないね。」
「?そぅ〜よんっ。何も変わっていないっちゃ。」
 顔を上げると、茶色い前髪の間から眩しいくらいの笑顔が見える。同時に、心の中に温かいものが流れ込んできた。それはまるで、懐かしさに似ているような。
 ここで何を言っても陳腐な言葉になるだけのような気がして。あふれ出しそうな涙を抑えて、私は精一杯の笑顔を作る。まり子さんが褒めてくれた、とっておきの笑顔。


―――私たち、これからも物語を作っていこうね。
あの日描いた1ページを、これからも綴っていこうね。


恥ずかしくて、口に出しては言えなかったけれど。
ふたりも同じ気持ちだったらいいと、心の中でそっと祈った。





三周年ありがとうございます野ブタ文。

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